幸せになるのを手放すと生活は豊かになる

どうもウノモトです。

僕は最近なんだか幸せなことが多いです。というのも、幸せになるのをやめたからというところがあると思うんですよね。

誰もが幸せになりたいと思っていて、そう思うのが当たり前のような風潮があります。幸福至上主義社会において、あえて幸せを志向しないことは、逆説的ではありますが、豊かな生活への近道だったりします。

 

そもそも幸せにはなれない

僕がまず一つ言いたいのは、「幸せになる」ことはできないということです。絶対に。はっきり言って、あなたの想像している「幸せ」って、何らかの状態を特定してはいませんか?

例えば、良い仕事についてお金持ちになるとか、なんらかの活動で成功するとか、最高の恋人がいるとか、あるいは豊かな家族に恵まれるとか。

これらの幸福の形は、ある理想的な状態があって、あなたはそれを所有したい、という願望です。しかしよく考えてみてください。これらの所有的な幸せは、絶対ではないはずです。むしろ脆いと言ってもいい。

 

幸福は所有ではない

この手の、所有している状態を志す幸せを願っている限り、人はタラレバ論に陥りがちです。「もし〜たら幸せなのに」という定型文のテンプレを作ってしまいます。無意識だとしても、そう思っている節があると思います。

理想と現実を比較している限り、現実には常に不足が生じます。タラレバの幸せを目指して生きている限り、満たされることがないのです。これって、本末転倒ですよね。満たされないまま死んでいくのを想像してみてください。

 

「幸せ」は動詞である

じゃあ、幸せって何だ?僕が思うに、幸せとは淡々と生きていくなかで、ふとした瞬間に感じるものです。

幸せになりたければ、あなたの理想の所有物を描くのではなく、今、この瞬間に幸せを感じてください。本当に、幸せってのはそれ以上でもそれ以下でもないと思うんです。

今、幸せか、そうでもないか、たったそれだけです。壮大なストーリーも、豪華な演出も、派手な衣装も要りません。裸になっても身体の中に感じられるエネルギーみたいなものこそが、唯一「幸せ」と呼べるものです。

その意味において、幸せとは動詞なのですよね。自分から感じられるものなんですから。自分の内面を観察して、「お、幸せだなあ」と気づく。そんなものです。

 

逆に、客観的な状態を指す「幸せ」なんて自分でどうこうできるものじゃあないです。だいたい、自分の生まれる時点から、自分の状態に関してコントロールできる範囲なんてたかが知れてるし、それは神のみぞ知るとしか言えないんですよね。

それよりも、今、この瞬間に、幸せを感じられるように意識を向けるほうがよっぽど建設的ではないでしょうか。

 

人は幸福でも不幸でもない

ひどいことを言うようですが、人間なんて幸福でも不幸でもないです。脳みその物質が増えたり減ったりしているだけ。

あとは自分のやるべきことを見定めて、淡々と生活を全うしていくこと、この方がよっぽど大事です。変に幸せを追いかけるよりも。

でまあふとした瞬間に「あ、幸せ」って感じられたらそれで良いじゃないですか。そういう生き方こそ、本当に満たされた生活を作り出すと思うのです。

 

それではまた。

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